評価しない

善し悪しがない、記録とか備忘録とかそういうやつ

6月分の雨が一日で降った日、今までになくご機嫌だった

その数日前から、大雨になりますよとニュースで言っていた。
雨が降る日は会社に行く道程のことを考えるだけで嫌になり、会社のことまで嫌いそうになる。
わたしは雨も会社も嫌いじゃないけど、満員電車が嫌いなので、遭遇した日には一日中気分があまり良くない。

なるべくなにも恨まず、憎まずにいたい。
慈愛的な意味ではなく、そんなことに感情のリソースを割きたくなかった。わたしは良くも悪くも人の正負の感情に影響されやすい性質があるようだから。

でも振り返ってみるとあの日、晴れている日よりもずっとご機嫌だったなと思ったので、なにが原因か思い返した。


◎1時間はやく家を出た
雨で電車を使う人が増える。電車が混む。定刻よりも大幅に遅れる。
普段から身動きが取れないほどの満員電車になる路線ではないため、人間と密着して接触することに慣れていない。きっと人が持つずぶ濡れの傘が足に当たって湿るだろうし、生乾きの匂いと知らない人からの近距離の吐息がかかるだろう。それを避けるために、1時間はやく家を出た。

空いても混んでもない電車に乗る。多少ダイヤが乱れても始業時間に間に合うかなとそわそわイライラすることもない。
時間に余裕があるということは心にも余裕を作ってあげられるということなんだと気付いた。

はやく職場に着いてやる気があると思われたら嫌だったから、
始業時間までタリーズのあったかいチャイティー*1を飲みながらだらだらしていた。

◎雨靴だった
雨靴を買ってから5年くらい同じものを使っている。
足先が濡れてぐちゃぐちゃ言う不快感を、この5年間味わっていない。
足首まで覆うショートブーツ型は、リラックマの茶色い靴下を履いても周りから見えないから大丈夫。*2
家に帰る時までかわいいリラックマは濡れなかった。

 

◎金曜日だった
日暮れが近づくにつれて雨脚が強まっていったあの日、わたしは仕事の手を何度も止めて、窓を打つ雨粒を眺めた。
帰り道でどんなに雨風に揺さぶられたとしても、わたしはもう家に帰るだけだったから呑気だった。夜の予定どころか週末の予定もなかった。
ざあざあと勢いよく降る雨が気持ちよかった。
テンション的には、洗車する時に水やら泡を窓越しにぶっかけられて、でもわたしは濡れない!すごい!みたいな気持ち*3だった。

退社時間が近づく頃、運転見合わせは京葉線しかなかったから、弊社は早上がりとかは特になかった。
その日が金曜日で、わたしがご機嫌だったから、弊社は命拾いをしたんじゃないかな。

 

 

常に現状維持ばっかりでなにかを良くしていこうという気持ちが少なめなんだけど、このツイートを見て、ちょっとだけ思い当たることがあるような気がした。

荒天を前にしたあの日のわたしは、普段よりもずっと強い気持ちで心の平静を保とうとしたのかもしれなかった。

 

 

*1:この週の日曜日、チャイ飲みたさに中目黒のチャイ屋を2件はしごしてホットマサラチャイを飲み比べるくらいには、今はチャイが好きな時期

*2:職場で靴を履き替えるから、上品なパンプスの足の甲にはリラックマの顔が露出した。ビジネスシーンには向かなかったかも。でも誰もわたしを注意しない。リラックマかわいいねーで終わる。よかった!

*3:わたしはいつも窓が少しでも空いていたらどうなっちゃうんだろうと分かり切った想像をする。幼いころ、マンションにある火災時に鳴らす「強く押す」と書かれた非常用ベルのボタンも、押したらどうなっちゃうんだろうと想像して「強く押す」をしたことがある。鳴り響く非常ベルはわたしの体を固くしたし、すっ飛んできた親にはわたしじゃない…と誤魔化した。大人になって聞いたら、わたしが押したのだとわたしの表情で丸わかりだったけど、あまりに縮み上がっていてかわいそうだったから叱れなかった、とのこと。叱られなかったことを良いことにわたしはこの件をバレていないと長年思っていた。